12月14日から20日までの1週間、ロシアのモスクワにある合気道気龍館道場へ指導に行ってきました。稽古は3日間に少年の部が3回、大人の部が10回と大変ハードでしたが、私も老骨に鞭を打ってなんとか頑張ることが出来ました。
初めて大東流に接するモスクワの人達は、私の繰り出す数々の大東流の技に目が釘付けになっているのを感じました。稽古は10回ありましたから徒手、座取り、短棒、杖、寝技、多数取りと多彩にして大東流の魅力を伝えることが出来たと思っています。
その間、気龍館ニコライ館長、通訳のナタリーさん、内弟子の人達にも大変にお世話になりました。合気で世界を結ぶ夢がふくらんだ1週間でした。
維心館 天野正之
2017年12月26日火曜日
2017年10月16日月曜日
D氏による稽古の感想
合気をかける前に、相手のチカラをもらうことが大事だとよくよく分かりました。チカラをもらってから合気をかける。これを一瞬のうちにやる。誘いとは、相手のチカラをもらうことなのですね。もらった力を相手の首や肩に返すことで合気がかかる。意識してやってみたいです。
2017年9月23日土曜日
2017年8月28日月曜日
D氏による稽古の感想
天野先生、こんにちは。8月27日川越第一中学での合気下げの各種は大変面白かったです。帰りの車の中でTさんが、あれができればなぁと言ってました。手のひらでも、手の甲でも手首でも肘でも膝でもすねでも腹でも、触れたところで相手を崩せるって、すごいです。できるようになりたいです。
2017年7月28日金曜日
D氏による稽古と祝賀会の感想
7月22日土曜日の稽古は3時間を越すものでしたが、長くは感じられませんでした。総勢10名でしたが前期高齢者が半数以上いるため、途中で何度か水休憩を取りながらの稽古でした。天野先生の技の見事さ、ご指導の分かりやすさは、驚きの連続と自分の常識を越えたものでした。本当の合気道は大東流にあることをしっかりと実感した次第でした。いま私は、天野道場で大東流が学べる幸せと、天野先生と巡り会えた幸せに浸りながらも過酷な3時間稽古に挑みました。
ハイライトは稽古の最後に天野先生が見せてくださった技で、触れた場所が相手の腕であろうが肩であろうが腹であろうが、片手を持たれようが両手を持たれようが、一人に持たれようが二人に持たれようが、合気上げ、合気下げを自由自在に操り、相手をその場に崩し制する想像を越えた技でした。正に凄技と言われるにふさわしい技の連続、ただただ私は、目にしっかりと焼き付けるのみでした。いつか!これが出来るようになりたいと強く願った次第でした。
襲いかかる者は前から来るか後ろから来るか、つかみに来るか蹴りに来るか殴りに来るか、何処をどんなふうに攻撃してくるか分かりません。だからこそ、こう来たら、こうとか、ああ来たら、こうとか、そんなことではなく、触れた瞬時に制する技でなければなりません。相手が違えば、攻撃の仕方が違えば、状況が違えば、それによって対処の仕方は全て変わりますが原理原則は変わりません。
合気の技は千変万化と合気道開祖植芝盛平先生は言われましたが、その千変万化の源が大東流の合気上げ合気下げにあることを知り、私は心を新たにしました。相手の首、肩に合気をかけることで重心を上方に上げ、体勢を不安定にさせて腰の支えを外せば良いのです。後は相手を思い通りにコントロールしてその場に落として固めるか、投げ飛ばすかすれば良いのです。
こうして参加者は3時間もの長い時間を充実したうちに終了しました。心地良い疲労感をシャワーで流したあとは、本日のスペシャル企画、天野先生古希の祝宴が待ってます。実は、天野先生が7月19日に御年70歳を迎えられました。稽古後一同は野草庵に移動して楽しいひと時を過ごしました。その中で私は先生にお願いしたき事をお伝えしました。それは、この素晴らしい大東流合気柔術をぜひとも後世に伝えてほしいということです。伝えなければ消えてなくなります。なんとしても後世に繋いでいただきたいと強く思っています。
また、天野道場が開かれて本年8月に10年とか!ならばぜひとも10年の節目に周年行事を行いたいと願っています。記念誌、演武、祝賀会をどんな形であれ、やるべきと思います。この日の祝宴を企画し様々なお骨折りをしてくださった遠藤ご夫妻には心から感謝いたします。先生のお気持ちを見事に忖度されたプレゼントも素晴らしかったです。さすが先生の一番弟子です。
最後に先生からお言葉をいただき、お開きとなりました。参加者一同、維心館天野道場のますますの発展と全員の健康を祈って手締めをしました。これからも、さらに元気良く、明るく楽しい稽古でありますように。
ハイライトは稽古の最後に天野先生が見せてくださった技で、触れた場所が相手の腕であろうが肩であろうが腹であろうが、片手を持たれようが両手を持たれようが、一人に持たれようが二人に持たれようが、合気上げ、合気下げを自由自在に操り、相手をその場に崩し制する想像を越えた技でした。正に凄技と言われるにふさわしい技の連続、ただただ私は、目にしっかりと焼き付けるのみでした。いつか!これが出来るようになりたいと強く願った次第でした。
襲いかかる者は前から来るか後ろから来るか、つかみに来るか蹴りに来るか殴りに来るか、何処をどんなふうに攻撃してくるか分かりません。だからこそ、こう来たら、こうとか、ああ来たら、こうとか、そんなことではなく、触れた瞬時に制する技でなければなりません。相手が違えば、攻撃の仕方が違えば、状況が違えば、それによって対処の仕方は全て変わりますが原理原則は変わりません。
合気の技は千変万化と合気道開祖植芝盛平先生は言われましたが、その千変万化の源が大東流の合気上げ合気下げにあることを知り、私は心を新たにしました。相手の首、肩に合気をかけることで重心を上方に上げ、体勢を不安定にさせて腰の支えを外せば良いのです。後は相手を思い通りにコントロールしてその場に落として固めるか、投げ飛ばすかすれば良いのです。
こうして参加者は3時間もの長い時間を充実したうちに終了しました。心地良い疲労感をシャワーで流したあとは、本日のスペシャル企画、天野先生古希の祝宴が待ってます。実は、天野先生が7月19日に御年70歳を迎えられました。稽古後一同は野草庵に移動して楽しいひと時を過ごしました。その中で私は先生にお願いしたき事をお伝えしました。それは、この素晴らしい大東流合気柔術をぜひとも後世に伝えてほしいということです。伝えなければ消えてなくなります。なんとしても後世に繋いでいただきたいと強く思っています。
また、天野道場が開かれて本年8月に10年とか!ならばぜひとも10年の節目に周年行事を行いたいと願っています。記念誌、演武、祝賀会をどんな形であれ、やるべきと思います。この日の祝宴を企画し様々なお骨折りをしてくださった遠藤ご夫妻には心から感謝いたします。先生のお気持ちを見事に忖度されたプレゼントも素晴らしかったです。さすが先生の一番弟子です。
最後に先生からお言葉をいただき、お開きとなりました。参加者一同、維心館天野道場のますますの発展と全員の健康を祈って手締めをしました。これからも、さらに元気良く、明るく楽しい稽古でありますように。
2017年7月27日木曜日
維心館女子会員による稽古の感想
昨日はありがとうございました。体調を崩していて久々の稽古で、気持ち良い汗をかくことが出来ました。お陰様で今日は気分爽快で仕事にも集中できそうです。
天野先生に技をかけて頂くと、呼吸が止まったり、腰が重くなったり、力が入れられ無くなったり、身体が浮き上がってしまったり…不思議な感覚で、とにかく楽しく、毎回稽古を心待ちにしています。
また分解して、ゆっくり分かりやすく教えて下さるのですが、いかんせん、まだ身体に自由に動いてもらえず、日々悩みながら脳内稽古をしています。最後にした二カ条締めもいろんな実戦的な締め方があり、大変勉強になりました。
私のお相手の人は先生が締めた手首が相当に痛そうで、技の効果がはっきりしてて分かりやすいと感じました。
天野先生に技をかけて頂くと、呼吸が止まったり、腰が重くなったり、力が入れられ無くなったり、身体が浮き上がってしまったり…不思議な感覚で、とにかく楽しく、毎回稽古を心待ちにしています。
また分解して、ゆっくり分かりやすく教えて下さるのですが、いかんせん、まだ身体に自由に動いてもらえず、日々悩みながら脳内稽古をしています。最後にした二カ条締めもいろんな実戦的な締め方があり、大変勉強になりました。
私のお相手の人は先生が締めた手首が相当に痛そうで、技の効果がはっきりしてて分かりやすいと感じました。
2017年7月22日土曜日
天野先生の古希祝い
本日は大東流合気柔術維心館館長、天野正之先生の古希を記念して、3時間の特別稽古とお祝い会を行いました。一同、蒸し風呂のような道場で、たっぷり汗をかいた後、腹いっぱい飲み食いして、また次のステップへと決意を新たにしました。どうか今後も末長く、ご指導いただきたいと思います。
2017年7月8日土曜日
2017年7月5日水曜日
D氏による「内手取り巻き込み落としのポイント」
7月4日東京武道館の稽古で学んだことを振り返ります。
我流の名付けではありますが、相手が内手で私の手をとりに来た時の技です。
腕を掴みに来る相手の動きを読み、後の先で素早く誘い、相手が私の腕を上から掴むように触れた時に、親指と人差し指を広げて下からあてがった私の手の中指の先を支点にして肘を外側に回すように上げ、相手の腕を内側に巻き込むようにして、腰を取る。
この時、指先の位置は変えず、また肘を上げ過ぎないこと。手首で相手の腕を裏返そうとするのではなく、肘を柔らかく使って巻き込むとともに一歩踏み出し、身体を寄せ、下になった相手の肘、腕、手首と上になった私の手首、腕、肘が一直線になるようにし、相手の崩れた腰の下のかかと辺りに落とす。この一連の動作を、まるで羽毛が触れるような柔らかさと素早さで行うことが肝心であります。
身体を寄せ、相手を下に落とした時に、自分の姿勢は少しも崩れていない、というようにすることです。
説明がクドすぎて却って分かりづらくなったかもしれません。お赦しください。
2017年6月30日金曜日
D氏のつぶやき
ここだけの男と女のお話し
愛の絆、なんと美しい言葉でしょう
でも、それは物語に出てくるおとぎ話しの世界なのか?
まあ、百組の夫婦のうち、もしかしたら、そういう夢のような夫婦間の愛の絆があるかもしれませんね。
そうあって欲しいと願う、はかない男の夢かもしれませんが…。
女性はいつも現実的に男どもを支配しょうと企みますね。男はそれが困るのです
と悟ったのはつい最近、後悔先に立たずです。
でも、結婚して何十年ずうっと助けられ、支えられてきているからね、何の文句は言えません。
男の弱みかな。
2017年6月17日土曜日
北欧の武道家
本日はスウェーデンの方が稽古に参加されました。在日歴20年で日本語ペラペラ、日本人の奥様との間に二人の娘さんがいらっしゃいます。合気道は母国で大学時代から始め、三段を取得されているそうです。10年ぶり(?)の稽古とのことでしたが、非常に滑らかな動きでした。
2017年6月16日金曜日
D氏による合気論(その2)
私が最近、植芝盛平翁の演武を動画で見ていて思うことは、あの誘いの見事さです。まるで受けが吸い込まれるように、技がかかり、投げ飛ばされます。
大東流では、わざわざ掴まれる、あるいは掴ませるために手を差し出すようなことはしません。合気道は、掴みに来る相手に対してわざわざ手を差し伸べて掴ませます。大東流では、相手が掴みに来るところを、ぎりぎりまで待って、後の先で手を出し、相手の手が触れた瞬間には技がかかっている。というように、手の出し方に違いがあります。
植芝盛平翁は手を上げ、手を差し伸べ、受けはその手を・掴もうとします。しかし、その手を掴むことはできません。わざわざ自分から投げられるように体が宙に舞います。その時の植芝盛平翁の動きの美しさといったら、言葉では表せません。歩けば合気、手を上げれば合気、全てが合気だと言われました。大男が植芝盛平翁の気に吸い込まれるのです。触れることも無く、投げ飛ばされます。これは大東流的に言えば究極の合気ではないかと思います。気が気を誘い、それらが一つになり、正に合気となり、合気がかかった状態となったのではないかと。これはもう敵ではありません。私と一体です。植芝盛平翁はある時、稽古の後、井戸端で体を清めていた時に天から金の雨が降り注ぎ、感激のあまり涙した、ということを言われました。
武は愛だ。合気道は愛の武道だ。「合気とは、敵をして戦う心無からしむ、否、敵そのものを無くする絶対的自己完成の道なり」と合気道の精神に書かれています。私は動画を見ていて、気で気を誘い気が一つになる植芝盛平翁の美しさを感じました。しかし、その究極に至るための筋道として、手先や手の甲や肘など、自分の五体で相手の首や肩や、時には目にも合気をかけることも技化しなければならないのです。それが今、私が頑張っている大東流合気柔術維心館天野道場にあるのです。合気をかけることを技化して、無意識のうちに合気に掛けるようになれば、大東流の触れ合気に少しでも近づくことができると思います。
2017年5月28日日曜日
新会員O氏による稽古の感想
維心館の稽古は、楽しいです。よく観察して、体感したことを素直に体が発揮するよう努めていますが、思うようにいきません。益々、日を追うほどに稽古したくなります。次回の稽古を楽しみにしています。
2017年5月24日水曜日
D氏による合気論
合気をかけることについて、今思ったことを少し書こうと思います。
相手の生理的な反発、つまり反射をうまく利用して導くということを、大東流を習って初めて知りました。合気道稽古では、とにかくぶつからないこと、争わないことが大事でしたから、受け流す、そらす、そして相手の力を我が力として一体となり、相手の行きたいところに行かせてやる、ということが技の基本でした。凡そ攻めるということをしませんでした。相手の肩や首を攻めよ、と大東流で初めて教えられました。和合の道、争わざるの道、武という字は戈を止めると書く。相手に戦う気を起こさせない、それが武の意味である。武は愛である。合気道は愛の武道である。と大学で合気道部に入部以来教えられてきました。
私の中では、開祖植芝盛平先生の唱えられた「合気道の精神」という言葉が修行のや根幹にあります。それは次のような言葉です。
「合気道の精神合気とは愛なり。天地(あめつち)の心を持って我が心とし、万有愛護の大精神を持って自己の使命を完遂することこそ武の道であらねばならぬ。合気とは自己に打ち克ち、敵をして戦う心無からしむ。否、敵そのものを無くする、絶対的自己完成の道なり。而して武技は天理法を体に移し霊肉一体の至上境に至るの業であり道程である。」
敵も味方も相手も自分もなく、全ては宇宙の気より成るものであり、宇宙の気に合一すること、それが合気であると教わりました。
さて、大学以来、合気道の合気とはそのように宇宙の気に合っすること、すなわち自分というものが消えてなくなってしまうことと考えていました。ところが大東流では、実体的に相手の首や肩口を攻めることを合気をかけるという。では、それがなぜ合気という言葉で表すのか、相手に力を及ぼす場合、天の理法に則らねばなりません。原理に反したことは通りません。つまり、ここで言う気とは、天の理法のこと、物事の原理のことなのではないでしょうか。合気上げも合気下げも、それが正しく行われるためには、けっして原理から外れてはなりません。それらが身につくためには、宇宙の法則に照らして間違っていないことです。そして、合気をかけられた者が、自分の意志ではなく相手に導かれて、身体が自然に動くのです。これは愛に他なりません。相手が反発するのは、心ではなく、身体です。つまり身体的な反応です。合気をかけるとは、相手に僅かな力を及ぼすことで相手に自分と一体になる身体的反応、つまり愛を呼び覚ますことなのではないでしょうか。これが、合気は愛気だという所以ではないかと、今は考えています。
2017年5月9日火曜日
D氏による稽古の解説
1番目。外手で取りに来たところを、下から軽く合気上げをして、自分の手首を相手の手首に絡めて横に払う技。これは絡めた手先を蛇の頭のように下に向けて落とし、相手の体を裏返して落とす技とは違う。あくまでも何気なく軽く横に払えば終わる技である。しかし、ここでも最初の合気上げがあればこそ、相手を軽く横向きに払うことができる。
2番目。内手両手持ちで取りに来るところを、身体を使って下から濡れ雑巾を振り上げるように合気上げをし、手首を相手の手首に引っ掛けて腰で引く技である。膝を柔らかく使うことと腰で引くことが肝心。
3番目。相手が両手でとりに来たところを身体をやや引きながら相手の両手を軽く持ち、車のハンドルを回すようにして相手の体をぐるりと回転させて横に払い離脱する技。この技は相手の腕を掴んてはダメ。やや下がりながら相手を導くことが肝心。
4番目。座り技。内手で取りに来るとき、後の先で合気上げをして、相手の肩を攻め、身体を浮かせて横に投げる技。この時自分の指は開かず、合気上げをした手の掌を上に向け、手先で合気下げをすることが肝心。
5番目。今の技を立ち技で行った。身体を使い相手の肩にしっかり合気をかけること。
6番目。両手で取りに来るところを、パッと両手で相手の上腕の辺りを、下から上に手を滑らせるように合気上げをして、合気をかけた状態から、今度は手先を下に向けて蛇の頭を下げるようにする。合気下げを行い、相手の腰を取る技である。そのまま一歩前に出れば、相手は腰から落ちる。合気上げをして、合気下げ。
7番目。内手で、自分の手のひらに相手が手のひらを乗せに来るところを、自分は下から軽く合気をかけるとともに、手のひらを裏返して横に導くと、相手は腰を取られた状態となる。掌を密着させることで相手を自由にコントロールする技である。応用編として、腰を取った状態のまま相手を後方に導き、さらに自分の持ち手を変えて自分の周りを回らせ続けるる技。これは大変面白かった。大東流合気の面白さは、このように相手を自分の思うままにコントロールすることにある。
2017年5月8日月曜日
D氏による稽古の感想
今日は先生が短棒の技をやりました。なかには痛い技もありましたが、稽古はとても楽しく勉強になりました。ここだけの話し、先生は仕事柄棒の技が得意だと話していましたよ。
短棒を握らずに軽く持って技をかけることができれば、素手の技も同じように楽にかけることができると先生が最初に説明されてましたが…汗。実際に短棒を握っていざ技を掛けると、手首、肘が固くなって、上手く技を掛けることが出来なくなり、今日は難しいことだらけの1日でした。稽古不足をまた痛感しました。
2017年4月19日水曜日
D氏による稽古の感想
昨日はどの技もうまくできなくて、いつも以上に悔しい思いで帰りました。技はすべて相手の肩、首に合気をかけなければならないのに、それを忘れていました。だから技をかけるときに重かったのですね。重いから力でなんとかしようとする、すると持たれたところを動かしてしまう。ますますダメ。片手でも、両手でも持たれたところはそのままに、まず軽く、ほんの少し、ピッと肩、首に合気をかける。それも、持たれた瞬間に行う。相手の指の第二関節辺りが自分に触れた瞬間に後の先で技をかける。ワン・ツーではなく、技はすべてワンで行う。触れた手で合気をかけるときには、相手の手、腕の肌をさすり、撫でるようにスリ上げる。目でも、胸でも腰でも、肘でも、手首でも相手に合気をかけることができる。特に目合気は大事。相手に触れることなく合気をかけられるからである。それらはすべて腰と連動して行うことが肝心。波動、羽ばたきの理論が重要となる。
昨日の技では、持たれたところをそのままにして、いかに相手を崩すかというのが難題であったが、稽古を通して肘を下げ腰を使うことで少しは克服することが出来たように思えた。でもまだ安心はしたくない。天野先生の次の稽古で何が飛び出すか心配ではあるが、全神経を集中して頑張りたい。
昨日の技では、持たれたところをそのままにして、いかに相手を崩すかというのが難題であったが、稽古を通して肘を下げ腰を使うことで少しは克服することが出来たように思えた。でもまだ安心はしたくない。天野先生の次の稽古で何が飛び出すか心配ではあるが、全神経を集中して頑張りたい。
2017年4月11日火曜日
D氏による技の解説
本日の綾瀬稽古では、後ろから肩と片腕を掴まれた時、あるいは片手を両手で持たれた時に相手の持ち手を無力化し腰を取って制する技でした。ポイントは、まず体全体を柔らかく使うこと、持たれた箇所を動かさないこと。特に支点となる親指は動かさないこと。その上で、肩を前に小さく出して丸く円を描いて肩と肘を落とし手を手刀の形にして小指で床をなぞるように前に出す。相手はその手に導かれて前に崩れ落ちる。自分の肩を柔らかく回し肘を沈める動きで相手を崩せば、そのまま前に歩めば相手を無理なく従わせることができる。肩肘を沈めたあとに手先を肩の位置まで上げれば、相手は仰け反るから、相手のいる方向に体を寄せ手を落とせば倒すことができる。要するに、本日の技は合気上げと合気下げなのです。肩を回し肘を下げ親指を支点に小指は床をなぞるように、とは合気上げそのものです。また、合気上げで上げた手を後ろに落とせば、合気下げです。大東流はこの二つが身につかなければものにはならない。本日は楷書に近い動きでしたが、これが行書、草書となっていけば触れ合気となるのです。
2017年4月5日水曜日
会員D氏による稽古の感想
合気下げの集中稽古は良かったと思います。途中で帰ってしまいましたことは悔しく残念でした。電車の中で小指を支点に蛇の頭をぐっと下げる動きを何度も繰り返しました。すると、手首が自然に上がり、相手の肩に力が働くことがイメージされます。また、相手が手を取りに来た一瞬にチラッと手の先で合気上げの動きをすると、より効果的だということも理解できました。相手の皮膚一枚に力を及ぼすことで、相手に無意識の反応を起こさせ、反抗させず気づかせず、相手を導くことができるのですね。この合気下げを習得出来れば、相手がどんな体勢でいようとも、いつでも相手の腰を簡単に崩すことができます。相手に触れた瞬時に崩せれば、勝負はついています。正に触れ合気です。早くマスターしたいとウズウズしますね。ポイントは、けっして相手に押し込まず、小指を支点に指先を蛇の頭のようにぐっと下げること、その時手首が上がり相手の肩に力を及ぼし攻めること。下げた時には静かに息を吐くこと。腕で引くのではなく腰や体全体を使うこと。
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