維心館の稽古は、楽しいです。よく観察して、体感したことを素直に体が発揮するよう努めていますが、思うようにいきません。益々、日を追うほどに稽古したくなります。次回の稽古を楽しみにしています。
2017年5月28日日曜日
2017年5月24日水曜日
D氏による合気論
合気をかけることについて、今思ったことを少し書こうと思います。
相手の生理的な反発、つまり反射をうまく利用して導くということを、大東流を習って初めて知りました。合気道稽古では、とにかくぶつからないこと、争わないことが大事でしたから、受け流す、そらす、そして相手の力を我が力として一体となり、相手の行きたいところに行かせてやる、ということが技の基本でした。凡そ攻めるということをしませんでした。相手の肩や首を攻めよ、と大東流で初めて教えられました。和合の道、争わざるの道、武という字は戈を止めると書く。相手に戦う気を起こさせない、それが武の意味である。武は愛である。合気道は愛の武道である。と大学で合気道部に入部以来教えられてきました。
私の中では、開祖植芝盛平先生の唱えられた「合気道の精神」という言葉が修行のや根幹にあります。それは次のような言葉です。
「合気道の精神合気とは愛なり。天地(あめつち)の心を持って我が心とし、万有愛護の大精神を持って自己の使命を完遂することこそ武の道であらねばならぬ。合気とは自己に打ち克ち、敵をして戦う心無からしむ。否、敵そのものを無くする、絶対的自己完成の道なり。而して武技は天理法を体に移し霊肉一体の至上境に至るの業であり道程である。」
敵も味方も相手も自分もなく、全ては宇宙の気より成るものであり、宇宙の気に合一すること、それが合気であると教わりました。
さて、大学以来、合気道の合気とはそのように宇宙の気に合っすること、すなわち自分というものが消えてなくなってしまうことと考えていました。ところが大東流では、実体的に相手の首や肩口を攻めることを合気をかけるという。では、それがなぜ合気という言葉で表すのか、相手に力を及ぼす場合、天の理法に則らねばなりません。原理に反したことは通りません。つまり、ここで言う気とは、天の理法のこと、物事の原理のことなのではないでしょうか。合気上げも合気下げも、それが正しく行われるためには、けっして原理から外れてはなりません。それらが身につくためには、宇宙の法則に照らして間違っていないことです。そして、合気をかけられた者が、自分の意志ではなく相手に導かれて、身体が自然に動くのです。これは愛に他なりません。相手が反発するのは、心ではなく、身体です。つまり身体的な反応です。合気をかけるとは、相手に僅かな力を及ぼすことで相手に自分と一体になる身体的反応、つまり愛を呼び覚ますことなのではないでしょうか。これが、合気は愛気だという所以ではないかと、今は考えています。
2017年5月9日火曜日
D氏による稽古の解説
1番目。外手で取りに来たところを、下から軽く合気上げをして、自分の手首を相手の手首に絡めて横に払う技。これは絡めた手先を蛇の頭のように下に向けて落とし、相手の体を裏返して落とす技とは違う。あくまでも何気なく軽く横に払えば終わる技である。しかし、ここでも最初の合気上げがあればこそ、相手を軽く横向きに払うことができる。
2番目。内手両手持ちで取りに来るところを、身体を使って下から濡れ雑巾を振り上げるように合気上げをし、手首を相手の手首に引っ掛けて腰で引く技である。膝を柔らかく使うことと腰で引くことが肝心。
3番目。相手が両手でとりに来たところを身体をやや引きながら相手の両手を軽く持ち、車のハンドルを回すようにして相手の体をぐるりと回転させて横に払い離脱する技。この技は相手の腕を掴んてはダメ。やや下がりながら相手を導くことが肝心。
4番目。座り技。内手で取りに来るとき、後の先で合気上げをして、相手の肩を攻め、身体を浮かせて横に投げる技。この時自分の指は開かず、合気上げをした手の掌を上に向け、手先で合気下げをすることが肝心。
5番目。今の技を立ち技で行った。身体を使い相手の肩にしっかり合気をかけること。
6番目。両手で取りに来るところを、パッと両手で相手の上腕の辺りを、下から上に手を滑らせるように合気上げをして、合気をかけた状態から、今度は手先を下に向けて蛇の頭を下げるようにする。合気下げを行い、相手の腰を取る技である。そのまま一歩前に出れば、相手は腰から落ちる。合気上げをして、合気下げ。
7番目。内手で、自分の手のひらに相手が手のひらを乗せに来るところを、自分は下から軽く合気をかけるとともに、手のひらを裏返して横に導くと、相手は腰を取られた状態となる。掌を密着させることで相手を自由にコントロールする技である。応用編として、腰を取った状態のまま相手を後方に導き、さらに自分の持ち手を変えて自分の周りを回らせ続けるる技。これは大変面白かった。大東流合気の面白さは、このように相手を自分の思うままにコントロールすることにある。
2017年5月8日月曜日
D氏による稽古の感想
今日は先生が短棒の技をやりました。なかには痛い技もありましたが、稽古はとても楽しく勉強になりました。ここだけの話し、先生は仕事柄棒の技が得意だと話していましたよ。
短棒を握らずに軽く持って技をかけることができれば、素手の技も同じように楽にかけることができると先生が最初に説明されてましたが…汗。実際に短棒を握っていざ技を掛けると、手首、肘が固くなって、上手く技を掛けることが出来なくなり、今日は難しいことだらけの1日でした。稽古不足をまた痛感しました。
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